私が初めて福祉の仕事に携わるようになったのは、約十五年前からで、明日香村に新設されることになった、軽費老人ホームの理事、嘱託医を引き受けてからである。
もちろん、それ以前から在宅医療には積極的に取り組んできた積もりであったが、家族による介護にはどうしても限界があり、脊椎に達するようなひどい褥瘡に何度もお目にかかった。また、脳血管障害の後遺症で片麻痺となり、病院から退院したときは杖歩行が可能であったものが、二年も経過しないうちに寝たきりの状態にさせられてしまう。介護者のリハビリに対する認識不足、暇がないなどの結果である。
これは高齢化にともなう要介護者数の増加、要介護状態の長期化女性の雇用率の増加等による家族介護力の低下などが背景にあり、高齢者介護問題が国民的課題となっている。
このため、老人福祉等の諸制度により、公的な介護サービスが提供されてきており、平成元年策定のゴールドプランや平成六年策定の新ゴールドプラン等に基づき,介護サービスに関する人材や施設等の介護基盤の計画的な整備、拡充が進められている。
しかし、我が国の高齢化や要介護者数の増加のスピードは、これらの施策をはるかに凌駕しているのが現状で、奈良県においても各市町村で福祉施設への入所待機者が急増している。
このような状態を少しでも、せめて自分の診療圏だけでも解決したいと思うようになった。そのためには、自分で老人福祉施設を建設することが最も早道である。だが、私のような徒手空拳、田舎の貧乏開業医に可能なことだろうかという不安がある。
とにかく、できるだけ情報を集めてみて、それで駄目ならあきらめもつくだろう。そこで、県の福祉施設の担当課である高齢福祉課へ問い合わせてみることにした。 その結果、先ず、建設用地として千五百坪の土地が必要であること、標準の老人福祉施設(特別養護老人ホーム五十床、ショートスティ二十床、ハケアハウス十五床、在宅介護支援センター、デイサービスセンター等)で、建設費が約十億円余必要であること、社会福祉法人の設立認可には三−四年はかかること、等々の説明を受けた。国や県の補助があるにしても、少なくとも、自己資金五億円が必要であるとも言われた。手も足もでないとはこの事である。人間あきらめが肝腎だ、もう少しで手がとどくと言うのであれば、容易にあきらめ難いところだろう。しかしこれだけ掛け離れた範囲のことになれば、まことにさばさばした気分で、きれいさっばりとあきらめることが出来た。
その後(二年ぐらい後)、私の小中学校時代の同級生で親友でもあるH君が、ある晩、ふらりと私のところへやってきて「実は俺の兄弟三人で老人ホームをやりたいと思うんやが、なにせ三人共に福祉の経験はまったくなく,あんたにカを貸してほしいんや」と言う。「実は、俺も前々から福祉施設を作りたいと思うてたんや、それなら一緒にやらんか」と私、話はとんとん拍子にまとまって、資金は四人平等に出資する、足りない分は福祉医療事業団から借りる、理事長は私が引き受ける等々、大筋の話は簡単にまとまった。
平成七年三月末に「社会福祉法人甘樫会」の認可が下りるまでに土地問題が風致の関係で二転三転、種々の妨害工作等に悩まされながらも、我々四人の結束は堅く、平成七年十二月吉日、起工式、平成八年十二月十七日、竣工式にまでこぎつけることが出来た.
開苑は平成九年一月初旬と考えていたけれども、周辺整備がやや予定より手間取り、そのため一月二十日、開苑と決定した。これからがいよいよ私の出番であり、適切な高齢者ケアを実現していくために、高齢者に優しい福祉の観点をもつことがもちろん前提となるが、理事長としての立場からすれば、事業としても健全に成長・発展させていかなければならない。
開苑時のスタッフは、施設長、副施設長、事務長、事務員二名、厨房関係は管理栄養士、調理員四名、介護部門では、介護主任以下寮母、寮父合わせて十名、医療部門は理事長の私、嘱託医一名(非常勤、週二回)、看護婦二名の二十五名である。
開苑にあたり、私は全従業員を前に、「老人は体の老化だけではなく、心も老化ている。だから介護するにあたっては、思いやりの気持ちを持って身体面の介護だけでなく、心の介護にも意を用いてほしい」という意味のことを、いささか貫禄不足だったけれども、誠意をこめて話したつもりである。
寮母、寮父十名のうち、介護経験者は四名で、後の六名は短期間の研修をすませたとはいえ」まったくの素人である。医学的知識、保健衛生関係の知識もごく常識的なものである。 そこで私は、連日(日曜、祭日も休みなく)午後往診を済ませてからの二時間余、夜間の診察後から夜半まで(ただし夜間は当直者二名のみ)、状況による実地指導を試みることにした。とうとう私も、医院と福祉施設の二足のわらじを履くところまでのめりこむ羽目になってしまった。
一月二十一日「あまがし苑」最初の入所者三名を迎える。Yさん、八十才(老年牲痴呆、徘徊あり)Kさん、八十八才(脳梗塞後遺症、左片麻痺、脳血管性痴呆)、Nさん、七十四才(両股関節機能障害のため歩行不能、身障二種三級)である。翌二十二日はTさん、八十二才(正常圧水頭症、、老年牲痴呆)、Uさん、∧十才(老年性痴呆)、Sさん、八十九才(大動脈弁閉鎖不全症、老年牲痴呆
)、Zさん、八十九才、(難聴、白内障、高血圧症)、Wさん、七十才(多発性脳梗塞、脳血管性痴呆)、二十三日にはJさん七十七才(脳梗塞後遺症、左片麻痺、脳血管性痴呆)、Lさん、八十八才(多発性脳梗塞、脳血管性痴呆)、Rさん、八十四才(脳梗塞、右片麻痺、脳血管性痴呆)、Aさん、八十二才(老年性痴呆)、二十四日Mさん、八十八オ(脳梗塞後遺症、脳血管性痴呆)、Oさん、七十四才(脳出血後遺症、左片麻痺、脳血管性痴呆)の十四名が、この一週間で入所された。このうち十二名が軽症、重症の区別はさておき痴呆である。実に八六%を占めている今後の入居予定者を調べてみても、この比率はあまり変わりそうにない。ちなみに「あまがし苑」は痴呆専門の施設ではないし、痴呆老人を特に引き受けますと、各市町村に申し入れたわけでもない。
ところで、折から猛成を奮っているA香港型のインフルエンザの患者がとうとう当苑でも発生した。マスコミでは連日のように施設での死者が何名と報道されている。開苑したばかりで死者を出したのでは理事長としての、いや、医者としての面子?にかかわる。二十三日、Sさん三十九度に熱発、早速、個室に隔離、加湿器を設置、抗生物質の点滴、二十六日、M さん熱発、二十八日、Rさん熱
発、三十日、Wさん熱発、それぞれ体力に応じ、水分補給や抗生物質の点滴など、早め早めに対処していった。二十六日には未感染者に対しインフルエンザ・ワクチンを接種した。四名の患者は三ー四日で順調に回復その後、当苑で新たな患者は発生していない。
二月十四日現在、三十名の入所者を迎え、それこそ休む間もない忙しさであるが、毎日毎日が緊張の連続であり、学ぶ事も多く、近年にない充実した日々を過ごしている。痴呆の入所者のエピソードも紹介したいが、長くなるので次の機会に譲りたいと思う。